上野公園といえば「西郷どん」の像ですね。

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    3月13日(火)桜が咲き始めた上野へ:銅像シリーズ

    西郷隆盛像

      上野公園といえば「西郷どん」の像ですね。JRの電車に乗っているときに、公園方面を見ていれば西郷どん見ることができるのですが見に来たことはありませんでした。今日が西郷さんと初対面です。この像は、詩人であり彫刻家でもあった高村光雲によって作られました。ちなみに「犬のツン(という名前だそうで…)」の像は、鹿児島から取り寄せられたもので、後藤貞行(皇居前広場の楠木正成像作者)の作品だそうです。この銅像が完成して、明治31年(1898)に除幕式を行った際に参列した西郷隆盛夫人のイトさんは、この風貌を見て嘆き、二度と像を見にくることはなかったそうです…。「こげん人じゃなかったと」といわれたとか…。それは顔が?それとも服装が??謎です。しかし、やはり女性の心理からしてこのバカボンの服装チックなところが問題だったのじゃないかと推測します。寝巻きっちゃ寝巻きぽいですよね…。ちなみにこの姿は、兎狩りをするときの格好だとか。何故そのようなシチュエーションの服装を選んだのか…。謎です。

    小松宮彰仁親王銅像付近

        左の写真の桜は結構咲いていましたが、上野公園の桜はまだ3分にも達していないのに、公園内は大にぎわいです。上野動物園も賑わっています。もともとこの地に寛永寺があった江戸時代から、花見の名所だったようです。しかし、当時は徳川家の菩薩寺である寛永寺のお膝元であったために飲食などは禁止されていたようですよ。公園となって大いに飲食も楽しめるようになったのは上野戦争でこの土地が焼け野原になってからで、花見シーズンになると空き地には花見茶屋などが建てられていたそうです。

      小松宮彰仁親王銅像です。銅像ももちろんのこと、土台もとても立派ですね。場所がら仕方ないのでしょうが、この時期は銅像付近までも宴会場所になってしまうのですね。この周りでも花見を楽しむ人でいっぱいでした。
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    〜説明板より〜
    小松宮彰仁親王銅像
    台東区上野公園8番
     彰仁親王は伏見宮邦家親王の第八王子。安政5年(1858)京都仁和寺に入って純仁法親王と称し、慶応3年(1867)勅命により22歳で還俗、東伏見宮嘉彰と改称した。同4年1月の鳥羽・伏見の戦いに、征東大将軍として参戦。ついで会津征討越後口総督になり、戊辰戦争に従軍した。
     明治10年5月、西南戦争の負傷者救護団体として、博愛社が創立されると、9月その総長に就任した。同15年には、小松宮彰仁親王と改称。同20年、博愛社が日本赤十字社と改名すると、総裁として赤十字活動の発展に貢献した。同36年1月18日、58歳で没。

    銅像は明治45年2月に建てられ、同3月18日、除幕式が挙行された。作者は文展審査員の大熊氏廣。『下谷區史』は当地に建てた理由について、寛永寺最後の門跡・輪王寺宮公現法親王(のちの北白川宮能久親王)の兄宮であったことに因んだのだろうと推察している。

    平成8年7月
    台東区教育委員会
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    野口英世像

    いまや「ターバン野口」でも御馴染、千円札の顔の偉人です。ちょっと分かりにくい木陰付近にありました。
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    〜説明板より〜
    野口英世銅像
    台東区上野公園8番
     野口英世は、明治9年11月9日、福島県猪苗代湖畔の農家に生まれた。31年、北里柴三郎主宰の伝染病研究所助手となり、33年12月に渡米、37年よりロックフェラー医学研究所で梅毒スピロヘータ等の研究を重ね、国際的にも高い評価を受けた。大正7年からは中・南米やアフリカに赴き、黄熱病の研究に努めたが、やがて自らも感染してしまい、昭和3年5月21日、現在のアフリカ・ガーナ国の首都アクラで没した。享年53歳。
     野口英世銅像は総高約4,5メートル(台石を含む)、製作者は多摩美術大学教授吉田三郎。英世の写真に基づき、試験管をかざした実験中の姿を表現したもので、台石にはラテン語で「PRO BONO HUMANIGENERIS(人類の幸福のために)」と刻まれている。
     銅像造立の活動をはじめて起こした人物は、福島県三春町出身の玉応不三雄である。玉応は英世の偉業を後世に伝えようと、昭和22年より募金活動を行ったが、国内の経済力が貧弱な時期にあって困難をきわめ、中途にして病に倒れた。その後、日本医師会・北里研究所・野口英世記念会等が活動を引き継ぎ、昭和25年には東京都教育委員山崎匡輔を建設委員長にむかえ、山崎の周旋によって上野公園に造立されることが決定した。
     昭和26年3月、現在地に造立。月は異なるものの英世の命日である同月21日に除幕式が行われた。
     なお、銅像前面の標示石・敷石は昭和46年に会津会が設置したものである。
    平成14年3月
    台東区教育委員会
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    心残りは、上野公園の生みの親である「ボードワン博士像」を発見できなかったことです。今まで設置されていた銅像が博士の弟の写真を元に作られていたことが発覚し、平成18年(2006)に新たに本人の顔写真を元に作り替えられたいわくつきの「ボードワン博士像」、次回は必ず発見したいです。
    〜おまけ〜
    国立西洋美術館の彫刻シリーズです。美術館外に有名な彫刻が展示されています。美術館が開館している日は中庭で記念撮影も可能です。
     
      左:アダム(1880年/オーギュスト・ロダン)
    中:地獄の門(1880〜1917年/オーギュスト・ロダン)
    右:エヴァ(1881年頃/オーギュスト・ロダン)
       
    左:カレーの市民(1884〜1888年/オーギュスト・ロダン)
    中:考える人(拡大作)(1880年・1902〜1904年に拡大/オーギュスト・ロダン)
    右:弓をひくヘラクレス(1909年/エミール=アントワーヌ・ブールデル)
    〜おまけのおまけ〜

    国立科学博物館新館に設置されたシロナガスクジラのオブジェ。なんと実物大だそうです。こういう大きさのものを見ると、人間なんてちっぽけ…と我に返ります。しかし、度重なる人間のシロナガスクジラ乱獲により、何十年も前から現在絶滅の危機に面しているそうです。悲しいものです…。

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